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名古屋地方裁判所 平成8年(わ)2139号 判決 1997年5月21日

主文

被告人両名をそれぞれ懲役三年に処する。

この裁判確定の日から、被告人甲野太郎に対し五年間、被告人甲野花子に対し四年間それぞれ刑の執行を猶予する。

理由

(認定事実)

被告人両名は、昭和三三年に結婚して一男一女をもうけ、被告人甲野太郎(以下「被告人太郎」という。)は平成三年一二月に木工品製造会社を定年退職し、被告人甲野花子(以下「被告人花子」という。)は平成七年一二月に公証人役場を依願退職し、名古屋市北区<地番省略>の自宅で生活していた。

ところで、被告人両名は、長男一郎(昭和三五年一〇月三一日生)が、平成六年四月二六日ころからアルコール依存症等のため通院するなどしていたところ、病状の改善がみられず、また、異常な行動や言動を示したりしたため、頭を悩ましていた。被告人両名は、一郎が結婚離婚を繰り返し、四人目の女性と離婚した後、平成八年三月二一日ころアルコール依存症で入院したものの、同年四月三〇日ころ退院したため、以後一郎と一緒に生活していた。しかし、一郎は、通院治療を受けても、相変わらず異常な行動や言動を示したため、同年五月一七日ころ再入院し、同年九月二五日ころ病状が改善したとして退院したものの、一向に改善しないことから、同年一〇月五日ころ三度目の入院をしたところ、他の患者といさかいを起こすなどしたため、病状の改善がないまま同月二一日退院するに至り、以後、通院治療を受けていた。被告人両名は、その間一郎の異常な行動や言動に心を痛め、心身ともに疲れ果てながらも親として精一杯の努力を続け、一郎が退院後に通院治療を受けても病状の改善がみられないことから、同人を入院させて治療を受けさせ、何とかしてやりたいと考え、同年一一月一八日、被告人花子が一郎の薬を受け取るとともに入院を依頼するため、一郎が入院治療を受けた病院に赴いたところ、同病院長から入院はおろか投薬まで断られたため、被告人両名としても最後の望みを断たれた思いに駆られ、強い衝撃を受けるに至ったものの、互いに気を取り直し、通院治療を受けていた医師に一郎のことをあれこれ相談することにした。被告人両名は、同日午後四時過ぎころ、被告人両名の自宅居間で一郎と一緒にテレビを見ていた際、一郎がウォークマンを買って欲しい旨繰り返し言い出し、その都度金がないから買えないなどと言ってあしらっていたところ、これに腹を立てた一郎が隣の台所に行き扉を閉めた。ところが、被告人両名は、しばらくすると物音がしなくなったため心配になり、台所に行ってみたところ、一郎が左前腕から血を流して仰向けに倒れているのを発見し、一郎なりに苦しんでいる姿を目の当たりにして、それぞれ我が子を楽にしてやりたいとの思いを抱くに至った。

そして、被告人両名は、暗黙のうちに意思を相通じて一郎を殺害することを共謀のうえ、同日午後四時四五分ころ、被告人両名の自宅台所において、殺意をもって、被告人太郎が一郎の頚部に電気コード(長さ約一四〇センチメートル)を二回巻き付け、その前頚部付近で結んで交差させたうえ、被告人太郎が一郎の右側から、被告人花子が一郎の左側から、それぞれ右コードの両端を右手に巻き付けて両手に持ち、左右にそれぞれ引っ張って一郎の頚部を強く絞めつけ、よって、そのころ同所において、一郎を絞頚による窒息のため死亡させて殺害した。

(証拠)<省略>

(補足説明)

弁護人は、被告人両名の本件犯行は一郎の承諾を得てなされたものである旨主張するので、以下若干の説明を加える。

前掲証拠によれば、被告人両名は、本件犯行の直前、一郎が左前腕屈側に長さ約六・五センチメートル、最大幅約一・八メートル、深さ約〇・五センチメートルの傷を自ら負い、血を流して倒れているのを発見したこと、その際、被告人太郎は、一郎に対し「死にたい」「もう死にたい」「苦しんどるのを見とれんで」などと問いかけ、一郎が「苦しいんじゃないよ、悔しいだけだで、いいよ、いまやれよ」と言い、更に被告人太郎は「こんなことたびたび……迷惑だし」と言い、一郎が「一度で最後で、最初で最後だでいいわ」と言った後、被告人太郎は「またこんなことやるかもしれんで、……死のう」「その方がいいと思うわ」「な」「死ーねっ」「死んだ方がいい」「かわいそうだけど」などと言っていること、その間に一郎が「もうこのまま寝てく」などと言っていることが認められる。

そこで検討するに、当時の被告人両名と一郎、特に被告人太郎と一郎の言葉の内容からは、一郎が被告人両名から殺されることを認識したうえでこれを承諾する旨の意思表示をしたとは認められない。

そして、一郎の自傷行為は、全長約二八センチメートル、刃体の長さ約一六センチメートルの包丁を用いているものの、その傷の部位や程度に照らすと、一郎が本気で死のうとして負った傷跡とは認め難い。しかも、一郎は情緒不安定な状態にあり、犯行直前のウォークマンを巡ってのやり取りを考えても、一郎が真意で死を望んでいる状況は窺えない。

更に、被告人両名のこの点に関する認識についてみても、被告人両名は、公判廷において、一郎が死にたがっていると思った旨供述しているものの、一郎が言葉として承諾の意思を裏付けるものがあったとは一切供述していない。そのうえ、被告人両名は、一郎の犯行直前の精神状態から考えても、一郎が当時任意かつ真意に基づいて承諾できる状況になかったことを十分認識していたものと認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠も見いだしえない。

したがって、弁護人の主張は理由がない。

(適用法条)

一  被告人甲野太郎

罰 条 刑法六〇条、一九九条

刑種の選択 有期懲役刑

主 刑 懲役三年

刑の執行猶予 刑法二五条一項(五年間猶予)

二  被告人甲野花子

罰 条 刑法六〇条、一九九条

刑種の選択 有期懲役刑

主 刑 懲役三年

刑の執行猶予 刑法二五条一項(四年間猶予)

(量刑事情)

人の生命の重さは、たとえその者が心身にいかなる故障を持っている場合であっても何ら変わるものではない。被告人両名は、ここ数年アルコール依存症などにより異常な行動や言動を繰り返し、自分たちの平安な日々まで奪っていた一郎に親として限りない愛情をもって接し、一郎を何とか立ち直らせてやりたいものと精一杯手を尽くしてきたところ、当日における一郎の苦しむ姿を見て、親心として我が子を楽にしてやりたいとの思いから、一郎の生命を絶つほかないと考え殺害行為に及んだものであって、一郎にとっても被告人両名にとっても誠に悲惨というほかはない。しかし、人には生きる権利があり、何人もこれを奪うことが許されないのはいうまでもなく、いかに精神的に追い詰められたとはいえ、短絡的に一郎を殺害するに至った被告人両名の行動は、結局のところ自分たちのことを考えた身勝手な思い込みによるものというほかなく、その意味で被告人両名の刑事責任は重いものがある。

しかし他方、被告人太郎は、当時疲労によって体調を崩し、被告人花子は退職してまで我が子の世話を続け、犯行当日も、一郎の病状を案じて病院に相談に行っていることからして、本件は計画的なものではなく、一郎の自傷行為を見て同人の殺害を決意したにすぎない偶発的衝動的な犯行であること、被告人両名は、本件犯行に至るまでの数年間、一郎の病状が少しでもよくなることを願い、一郎の異常な行動や言動に心を痛めながらも、自分たちの生活を犠牲にしてまで一郎の面倒を誠心誠意みてきたこと、被告人両名は、犯行当日病院から一郎の入院を断られたため、それまでの疲労も重なり精神的にも相当追い詰められた状況にあり、一郎の自傷行為を目の当たりにした際の絶望感には同情すべきものがないとはいえないこと、被告人両名のこの間の苦労は単に肉体的なものにとどまらず、精神的疲労も大変なものであったろうことも十分に窺え、これらの点は被告人両名のために十分考慮することを要する。このほか、被告人両名が本件犯行後直ちに自首したこと、被告人両名が現在本件犯行について深く反省し、その生命を奪った一郎の冥福を祈っていること、被告人両名はこれまで善良な市民として、地域社会の人々から相応の信頼を受け、誠実な社会生活を送ってきたものであること、被告人両名には前科前歴がないこと、被告人両名の長女や兄弟においても、今後社会に立ち戻る被告人両名を暖かく迎え入れようとしていること、また、被告人両名の年齢、それぞれ健康もさほど優れた状態にないことなど、被告人両名に有利に考えるべき事情もかなり多く見いだすことができる。

そこで、これら被告人両名に有利不利な一切の事情を総合し、なお被告人花子は被告人太郎に追従したという側面もあることなどをも考慮して、それぞれ主文の刑を定め、被告人両名に対してはそれぞれ刑の執行を猶予し、社会生活を送る中で一郎の冥福を祈る機会を与えることにした。

(裁判長裁判官 佐藤學 裁判官 中島基至 裁判官 田邊三保子は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 佐藤學)

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